陽だまりのココロ
東京都文京区でタロー・デ・パリ/数秘/心理学/アニマルコミュニケーション/ヒーリングを用いたカウンセリングを提供しています。日々の学びや気づき、高齢犬猫の介護記録や猫との日常など
引っ越しと私その1
2017/01/28 Sat. 15:52
category:自分って?
自分のたな卸しをやっているわけですがー。
小学校~高校までの記憶がほとんどない私が
さかのぼれるのは、大学~社会人~現在です。
その中でも結構記憶が曖昧でして、
どうしたら思い出せるかなぁーと考えていたところ、
後頭部のほうから、『引っ越し』ってキーワードが
出てきました。
そうだそうだ、社会人になってから結構な回数
引っ越ししたから、それをたどって行けば・・・
という前置き長めで(いつもすみません。。)
引っ越しと私です。
大学卒業→就職して2カ月間、東京で研修→福岡に配属
となりました。
福岡はそのころ付き合ってた彼の実家があるので
馴染みもあり順調な滑り出しだったはずでしたが、
半年くらいで、彼とお別れすることにして
宮崎の親にも何も相談せず東京へ。
今思えば、何も持ってない(貯金も生き抜くスキルも)状態で
よくそんな大それたことしたなぁーと思いますが、
何かに突き動かされるように、いつもの私ではない『何か』が
働いたように、上京しました。
第二次新卒扱いで就職、川崎のワンルームで暮らし始めました。
収納ゼロで狭いし、『これが東京なのかー』←川崎は神奈川・・
という衝撃に包まれつつ、質素な暮らし。
給料日前持ち金300円とか( ´艸`)
お昼はおにぎり持参、通勤は定期。
東海道線の満員電車で、ストッキング電線したら
持ち金がゼロになるーというスリル満点な生活。
『早く仕事を覚えて楽になりたい』
『社会的に自立したい』
これしか考えてなかった。
まぁ、自由でいるためには、
やりたいことよりも社会的自立がメイン
なのは当たり前ですね。
その後、2年くらいで川崎よりも家賃が安かった
新子安に引っ越し。
仕事も慣れてきたけど、残業100時間生活。
朝出勤して終電まで仕事、また朝出勤の繰り返し。
休日も半分は出勤。
身体がおかしくなってくる、息苦しい気持ちになる。
2年で今度は浦安に引っ越し。
通勤時間が20分くらい短くなることと、家賃が少しだけ安い。
この時は、息苦しい生活を変えたいのが一番だったかな。
神奈川(川崎)→神奈川(新子安)→千葉(浦安)
まだ東京には進出してませーん。
しばらくして、残業100時間生活のプロジェクトが終わって、
落ち着いてみたら、借りた部屋がいまいちだった。
寝に帰るだけならOKな感じ。。
1年半くらいで、巣鴨に引っ越し。
川崎方面と幕張方面に行く仕事があって、どっちも遠いから
真ん中とって巣鴨って単純な発想。。
このあたりから、仕事を含めていろんな事がずんずん
回り始めた感じだったな。
そのころは付き合ってる人もいなかったし快適でした。
上京して新子安くらいまでは付き合ってる人が
いたんですが、なんか、今思えば・・・
相手に合わせるのが実は苦痛だったんだわぁ。
とか。。
その時は、自分の気持ちをないがしろにするキャンペーン
真っ最中だったし、それに気づくこともなく
日々なんとか乗り切ることしか考えてなかったかも・・
長くなりそうなので、グタグタのまま(汗)、
その1終わりまーす(/・ω・)/
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